神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 針名神社

針名神社

式内針名(はりな)神社の伝承地については、名古屋市天白区天白町平針に鎮座する針名神社に当てるのが通例だが、平針は往古山田郡の地であったとして異論もある。

この平針は、天白川に沿った地域で、古代の遺跡は中流域に銅鐸を出した中根遺跡、それを少し遡った上手に植田八幡社古墳があるが、平針の地には遺跡には恵まれていない。また、古代の交通路は、熱田から星崎・鳴海を通って両村にぬけていたことから、平針は当時の交通路から外れていることからも式内針名神社に当てることに疑問があるようだ。

【所在】

名古屋市天白区天白町大字平針大根ケ越175 に鎮座する。

平針村は、岡崎街道が整備されたときに街道沿いに移転したが、当社も同時に遷座しており、もとは現在地の北300mの字郷之島に鎮座していたと伝えられている。

平針村は、江戸時代に入ってから宿場が置かれたところで、慶長17年(1612)に徳川家康が軍事的な意味もあって、岡崎から名古屋に至る直線コースを新しく開かせ、その時、平針は現在地の北2丁(約200m)にあって、わずか16軒の農家があるにすぎなかったが、伝馬宿を設置するため村を街道沿いに移し、更に人数を集めて人家を増やした。
それ以後、この街道は商業道路として利用され、伊奈方面に行く伊奈街道、豊田方面へぬける拳母街道への道が開かれ、平針村は、その分岐点として賑わった。

【由緒】

当社の創祀年代は不詳。

江戸時代には、通称、平針天神祠、天神祠と呼ばれていたが、針名神社の社名の使用は享保年間(1716~36)ごろとみられている。

神社に掲げられた由緒書によると、

「創建については延喜年間(901~923)作成の国内神明帳に従三位針名天神と記載されていることによりその時代前から鎮座されているものである。」

【祭神】

針名根命・大己貴命・少彦名命・応神天皇の4柱を祀っている。

このうち、針名根命以外は、後に合祀されたもので、特に応神天皇は、明治42年10月に当社の西に隣接した八幡社を合祀したもの。

主神にあたる針名根命は、尾張氏祖神の饒速日命(天火明命)の14世の孫、尾綱根命の子。

尾綱根命は、日本武尊の東征に従った建稲種命の子とされていて、針名根命は、その孫に当たり、針名根命を祀る針名神社の所在は、熱田に近いところにあってもよさそうだが、山田郡にあるのは不自然に感じる。


境内末社は、大きな神明社を中心にして、天王社、針名天神社、そして針名稲荷社がある。


【祭祀】

例祭日は、10月10日。

【社殿】

 

社殿は、南西向きに建つ。

社殿は、昭和51年11月に完成したもので、本殿、渡殿・祝詞殿・拝殿・社務所・神庫・神門などの設備がある。

本殿は、流造りで、千木・鰹木が載る。


神紋は「五三の桐」。

 

正面の蟇股の飾り。
何を表しているのかよくわからない。


【参拝記】

2011年12月11日、名古屋東部の式内社を自転車で巡ったときに、川原神社から飯田街道をひたすら東へ、名古屋東部の丘陵地に入り、坂を上ったり下りたり、新興住宅街の中に大きな森があり、それが式内社の「針名神社」であった。

一の鳥居は社域の西側にあるが、参道を進み、中門のところにくると、社殿正面に続く南側にも鳥居と社標がある。


南側の鳥居は丘の頂上にあり、社殿へは階段を下る。


階段を下ると、神門がある。


門の扉にも「五三の桐」の紋がついている。


青銅製の燈籠には、「四方神」の飾りが付く。


絵馬は「馬塔(おまんと)」


ヒノキとスギが同じところから生えている「御縁木(ごえんぼく)」も祀られている。
左がヒノキで右がスギ。


針名神社で見られる野鳥の案内板もあった。